blog引っ越します。
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本日 小田原は雨ですが、これから箱根の塔乃峰青少年の家に山ごもりします。
災害時の訓練です。
メールもPHSも電波が届きません。
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3日間ほど山梨に行っていました。
2日半は災害救援の訓練を行い、その帰りに、サントリーの登美の丘ワイナリーの見学をしてきました。
試飲で安いワインは無料でしたが、飲んでみたかったのはノーブル・ルージュ。しかし全部で177本しか生産されていない超稀少ワイン 1本21万円!!
それもそのはず 貴腐ワインはたいがい 白ブドウで作るのが、たまたまとなりの赤ブドウに菌がついたので、出来た奇跡のワインだそうです。
貴腐ワインはハンガリーのトカイが有名で、90年にわざわざトカイ村まで行って、飲んできましたが、シロップのようなとろ〜とした、ワインでした。(写真はトカイ駅)
http://
まあ有料の試飲コーナーには、白の貴腐ワインの試飲がありますが、50mlくらいで2100円。
ここは標高600メートルあるので、急に雷雨になりましたが、雷が横に走るのを初めて聞きした。
すごい轟音です。
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シャラポワが国連開発計画の親善大使に就任した。
ウクライナのチェルノブイリ原発事故(1986年)の復興事業に10万ドル(約1200万円)を寄付した。毎日新聞
チェルノブイリといえば、本日 小田原の市民フェスタにナターシャ・グジーと妹のターニャが歌を披露してくれた。
ナターシャのサイト
今年の4月26日で21年目である。

今なお その当時母親のおなかで被爆した子どもたちが、成人して、甲状腺ガンになるなど、話題に
はならないが、被害は未だに進行中である。
チェルノブイリ子ども基金 では4月21日 セシオン杉並で救援コンサートをやる。
☆21周年救援キャンペーン
【講演&コンサート】 (予定)
出演:広河隆一 ナターシャ・グジーほか
日時:4月21日(土) 午後4時開演
開演まえに広河隆一「チェルノブイリの真実」ビデオ上映の予定
場所:セシオン杉並
(前売り1800円 当日売り2200円ほか 予定)
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ココログがまたもメンテ中でしたので、2日遅れでカキコです。
ちょっと使いやすくなったけれど、メンテ長すぎですね。
12/6の読売の一面写真に、表参道ヒルズの太夫と8年ぶりのライトアップが写っていました。
さすが話題の表参道ヒルズでの着物イベント。しかも現在3名しかいない太夫を京都から招いて、太夫道中と座敷芸を披露。
そして雅楽で定番の越天楽と舞楽 陵王。
場所柄クラブに慣れた人たちが多い中、このような和物、その中でも歌舞伎や能でなく、古典の雅楽や、表にあまり見られることのない 座敷芸を持ってくるあたりこの企画のプロディースした湯山さんのセンスの良さを感じる。
開場は表参道ヒルズの例の階段を下りきった先にある、B3のイベント会場で真ん中に舞台があり、着物の展示、美人寿司、などなど。
盛況すぎて お寿司が足らなくなり、夕食を食べようと思っていた方には少々もの足りかなったかも。
やく1/3くらいの方が着物で来場。
いいですね。大人の世界です。
ぼくも夏なら浴衣で参加していました。
太夫の芸の時は京都のお座敷風に薄暗い中で、胡弓を披露。
太夫は御所に上がるため、汚れを嫌う。
足袋もはかないし、お歯黒(歯を見せるのははしたない)
なかなかこういう粋な世界をかいま見られて、よかったです。
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<去年の夏 熱海の花火>
灰谷さんがお亡くなりなった23日 同じように花火も追悼していました。
作家 灰谷健次郎さんが他界して1週間がたった。
以前から調子が悪いと聞いていたが、訃報のニュースに涙した。
初めて会ったときは94年 ピースボートの船の上だった。
そのころはまだお元気で 毎回乗船してくださった。
98年 ピースボート15周年クルーズでは沖縄が舞台で、渡嘉敷島に住んでいた、灰谷さんは
ご自身が渡嘉敷島のツアーコーディネーターを務めてくださり、ご自宅も参加者に開放してくれた。
その後 熱海に住んでいたこともあり、自宅におじゃましたこともあった。
平和活動をしている若者を応援してくれた。
「本来は僕らの世代が平和について もっと責任を持たなければいけないのを、代わりに活動してくれる若者たちを支援しなければ」と話していたことが思い出される。
教育基本法改悪など、現在の日本の現状に なくてはならない人が一人またいなくなったことは 不幸なことだ。
ここのblogに灰谷さんの最後の言葉が載っています。
またNHK人間大学で灰谷さんの回が追悼アンコールされます。
NHK人間大学アンコール NHK教育
-子どもに教わったこと~灰谷健次郎- 全12回
1回から4回まで
2006年12月 3日(日)
15時から17時
5回から8回
12月4日(3日深夜)
1:05から3:05まで
9回から12回
12月5日(4日深夜)
00:50から02:20
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雨にも負けず 風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち
欲はなく 決して瞋(いか)らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米4合と 味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを自分を勘定に入れずに
よく見 聞きし 分かり そして忘れず
野原の松の 林の蔭の 小さな茅葺きの小屋にいて
東に病気の子供あれば 行って看病してやり
西に疲れた母あれば 行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば 行って怖がらなくてもいいと言い
北に喧嘩や訴訟があれば つまらないから止めろと言い
日照りのときは涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにデクノボーと呼ばれ
ほめられもせず 苦にもされず
そういうものに 私はなりたい
有名なこの詩は昭和6年(1931)11月3日 床に伏した宮沢賢治が手帳に記したものである。
その10年前、宮沢賢治は、作家を志望し東京へ出てきたが、文壇では相手にされず、出版した2冊の本も本も、ほとんど売れなかった。
そして2年後の昭和8年の今日9月21日 他界する。
その後 宮沢賢治の弟が、賢治の書きためた原稿を出版して、今日の名声を得た。
その原稿の入っていた、カバンの脇ポケットに何気なく入っていた手帳に、この有名な詩が書かれていた。
もともと原稿ではなかったので、もしかしたら、この世に出なかったかも。
でも出る必然があるから出たのでしょう。
普通に考えれば絶望のどん底において書かれたこの詩は、それだけ人に感動を与えられるのだから。
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写真は97年 ギリシアにて。千田(チダ) 善さんに案内してもらいました。
先日のトリニダード・トバゴ戦 いろいろ言われているけれど、将来性のある試合でした。
個人的には小野には出て欲しかったけれど、真ん中の時間を覗けば、魅力的なサッカーでした。
オシム監督が映される映像の横に、どこかで見たことがある人がいると思ったら、旧ユーゴの専門家でよく船にもご一緒した千田 善(チダ ゼン)さんではありませんか?
すごいものです。でも通訳は3人体制で、まだ試験中だそうす。(報知新聞より)
なんとかがんばって、正通訳の座を得て下さい。 がんばれ!!ゼンさん!!
そしてオシムからいろいろ学んで、ゆくゆくはモウリーニョのように、名監督になって下さい!!
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現在各地で水害の被害が出ているが、ようやく避難勧告が解けて、住民が家に帰れるようになった。
しかし一階は泥でうまり、その状況を見たときに絶望する。
そこへ少しでもボランティアのお手伝いが必要になる。
現在鹿児島に5000人、長野の諏訪市に2000人ほどボランティアが入っている。
社協
僕も行きたいが、いろいろ野暮用があり出られずにいるが、知り合いが諏訪市に入っていろいろ情報を得ている。
さすがに昨日、今日の土日は人手が余っているようだが、平日まだまだ少ない。
近いうちにお手伝いしたいものだ。
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ドイツW杯 いよいよ始まりました。
昨日ついに魔のC組 アルゼンチンvsコートジボアールを見たけれど面白い!!
初出場のコートジボアールいいです。チャンピオンズリーグ見ていたら、おなじみの選手が出ている。チェルシーのドログバ、アーセナルのエブエなどなど。
後半はもうコートジボアールがほとんど優位だった。
ココまで良い選手がいるのは、国家をあげて選手の強化をおこなっているからだ。
これからアフリカの新興国がどんどん出てくるでしょう。
しかし現実にはアフリカの子供たちはサッカーボールなんて買えない子供がとても多い。
みんなビニールやバナナの皮で作ったボールでサッカーしている。
できれば本物のサッカーボールであれば、もっとうまくなるでしょう。
現在joyousballという活動を通して、世界の子供たちにサッカーボールを届けている。現在はアフリカはケニアやウガンダに送ることが多い。
将来このボールを使った子供たちがワールドカップに出てもらいたい。
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引き続き JVJA年次報告会「そして問う、この国の過去(いま)」の議事録です。聞き漏れ、聞き違いとかもありますので。
第2部
★山本宗補
老いと風景(映像中心だったので うまく聞き取れず)
「尊厳ある生き方」や「命のいとおしさ」
はてるま島で 戦争マラリアで3人に1人が亡くなった。一人の軍人山下軍曹と語っていた(陸軍スパイ学校中野学校出の本名 さかい)が米軍の食料にならないように家畜を殺し、燻製にして日本軍の食料になった。
★土井敏邦
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従軍慰安婦
韓国へいって、「従軍」というのは 目的を知っているもの。「慰安婦」 加害者の立場の呼び名。性奴隷というのも ハルモニの人たちはいやがる
ナルムの家を取材(以下ビデオなので、書き込めず)
北朝鮮拉致家族の向こう側にアジアの人々の苦難を創造しなければならない。
拉致問題を普遍化することが大事。今マスメディアで日本の加害について、薄めようとしている。
★森住卓
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水俣病
20代の時からの友人から誘われた。水俣病はもう終わった問題だと思っていたが、去年の秋から取材した。
発見されて50年、チッソが工場に作ったのが100年目にあたる。
95年に裁判で決着したと思われていた。2004年に関西の水俣病の最高裁判決で感覚障害だけでも認定すべきだと認定した。
国は運動機能と感覚障害の2つがないと認定できないとしていた。
審査する審査会も機能を停止していた。
去年から新たに国家賠償請求をしている。全部で690人 最終的には1000人を超えるだろう。
熊本県の調査では県内に1万2千人 鹿児島県がわに1万3千人 しかし推計では20万人くらいいるのでは?
不知火湾で取れた魚を食べた人々の中にも発病している。
44歳の男性は小学3年生ごろ、感覚がおかしい。視野狭窄になって転びやすかったり、仕事もつけない。
水俣病の申請をしようとしたら、父が男は仕事に就かなければいけないのでやめておけと言われ、仕事にも就けず、保障も受けられない。
去年の11月に提訴した一人。
現在の発病者は60年代に起こった劇症型水俣病はなく、感覚麻痺が多い。
なんでこんなに長く続いているのか?
企業と国の隠していたことが原因
原因がわかっていながら、隠しつづけていた。広範な住民の健康調査など怠ってきたこと。
チッソという企業が国策として石油産業を起こすのに必要な企業だった。
10年前よりかかわっている。
昨年の動き
10月25日に東京地裁での 台湾と韓国のハンセン病の判決
台湾は勝訴 韓国は敗訴
多摩の全生園で80年代間違った医療によって、医療ミスがあった。
医者は30年間 まともに知識向上せずに、患者に対して非人間的な扱いをしていた。
裁判で医療ミスは認められたが、その前にやめたので 罰せられない。
熊本裁判のときの判決で「人生被害」という言葉が印象に残っている。「病気だけでなく人生そのものも破壊された。」
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1月13日JVJA年次報告会
を聞きに行ってきました。本来パレスチナやチェチェン、イラクなどを中心にかかわってきたジャーナリストが多いので、海外が中心になると思ったら、右傾化が著しい日本がメインだった。以下はその場で筆記したメモをまとめたものである。
参考になれば幸いです。
★広河隆一
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昨年は1月 パレスチナ 3月 チェルノブイリ 11月12月 チェルノブイリ
1月2月 レバノン
日本では戦後60年は日本の被害だけの報道だった
チェルノブイリでももう被害というのはやめようという政府や経済界の思惑。以前まで入っていけない地域も利益のために、どんどん開放され、農作物なども作られている。20年たって幕引きを図ろうとしている。
IAEAがノーベル賞を貰ったのも、日本でも原子力が安全と言い出したのも、連動している。
私事ですが、2001年入院した。自分は大したものを生産できないのではないか?それまではビデオもカラーもモノクロも撮っていたが、それ以降はモノクロのみにした。その後JVJAを作った。イラクの戦争があって ジャーナリストが発表する場がないのDAYS JAPANを作った。
昨年また病気をしてすべての仕事をやめたほうがいいと言われた。
戦後60年の幕引きが迫る中、本当に役に立っているのかを最近悶々と考えている。
来年でパレスチナを取材してから40年たつ。チェルノブイリも20年。そうした節目節目でいろいろ考える。
そうした中でジャーナリストはどうすべきか?両親的なジャーナリストでいるのは簡単だが、それだけでいいのか?
自分の声が届かないのなら、届ける方法はどうしたらよいか?
★古居みずえ古居みずえパレスチナドキュメンタリー映画支援の会
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パレスチナ
最近は自分の映画の作成で1年半ほど日本にいる。
最近のパレスチナの動向でシャロンを和平に必要な人だというような報道が目立つが、パレスチナ人にとってみれば、レバノンの虐殺、入植地拡大推進、占領の顔である。
日本の新聞では和平の顔と報道しているが、彼がいることで パレスチナ国家ができなくなる方へ動いている。
なぜ映画を作ったか? テレビや新聞では現地の生の声を届けられれない。
パレスチナというと難民であるとか 石と銃が混じる合う というイメージしかない。
本当のそこに生きている人々を伝えたい。
「がーダ」
5月の連休 渋谷のアップリンクで公開が決定した。
★佐藤文則
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ハイチ 2002年 アリスティード大統領が退陣して、2005年に選挙することになっていたが、まだ行われていない。
アリスティード派の民兵がハイチ人だけでなくNGOの職員など身代金目的で誘拐している。
選挙をやったらリネ・プレバル前大統領だった人が勝つのではと言われている。
★豊田直己境界線の記憶
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アチェ 津波発生後3週間後に取材
60年前に日本軍が作ったトーチカが 津波で出てきた。
インドネシアの軍隊が援助を妨害している。 自由アチェ独立運動を弾圧していた軍隊。 町中いたるところに軍隊が監視している。そういうことを報道されない。
30年間 軍隊が独立運動している人々を殺害していた。そういう軍隊が援助と称して、入り込んでいる。
人道援助を行っている国連の車両には銃は持ち込んでいないマークをガラスに張っている。日本では自衛隊が出ていったらという議論があるが、もし復興支援で行くのなら国連のように丸腰で行くべきであろう。しかし丸腰で行けるか。そういう訓練はしていない。
アチェの天然ガスの8割が日本に輸入されている。プラントもODAでできている。
その援助の条件が民主化されていることが条件。だから軍隊の暴動は報告されない。
★林克明webあれこれ
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去年 チェチェンに入れました。フリーのジャーナリストはなかなか入れない。
現在のチェチェンの状況は、チェチェン人のいないチェチェンになりそう。秘密警察がどんどんチェチェン人を捕まえている。
チェチェンはイスラムのジークル(スーフィズム)
岩手県くらいのところに12万人のロシア軍がいる。なぜかソビエトの国旗がロシア軍についている。
100万人のうち20万人くらいが死亡。
1944の3回目の強制移住 全民族の50%が死亡
今は戦闘自体はチェチェンの外で行われている。
★綿井健陽
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イラクの写真
3月で丸3年 報道そのものが生きずまっている。去年一年間はほとんど入れない。私自身も1度だけ行けた。かろうじてサマワには入れた。3年の12月 オランダ軍がいるころはのんびりしていた。
サマワ日本友好協会の代表 宝石屋モハセンさんは「物議」を交わした垂れ幕を作った人。昨年いった時にはモハセンさんのお店は爆破されていた。日本と友好を解消しろと脅迫をうけていた。
サマワからの報道は自衛隊の広報が撮影した映像が流れる。
自衛隊が直したことになっている橋などもほとんどイラク人の業者 自衛隊はたまに様子を見にくるだけ。
現地からのインタビューはテレビ電話で市谷から発信している。この一年ぐらいメディアはまるでいない。
去年の2月で給水活動は停止。ODAで井戸を作ったので活動していない。
最近の活動は3日に1日くらい。橋修理の監督にいく。
自衛隊の宿営地内でサマワの人を招いて歓迎行事が行われる。その映像がCDになってみんなが見られるようになっている。一般の招かれない人からは裏切り者と見られている。
とりあえず第一部 ここまで 第2部もつづく
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